OUTRIGGER CANOE CLUB JAPAN 朝鮮海峡漕破2002
〜昨年7月13日に朝鮮海峡を走破したOCCJが、さらにエクストリームである冬の玄海灘に挑んだ〜
REPORT1 | REPORT2REPORT3
member
10月19日(土)
AM2:30 荒木宅出発/AM3:30 秦野中井I.C. 裕輔ピックアップ/4:30 清水I.C. 俊、修平ピックアップ 後対馬へ向けて出発

僕ら機材車組みは湘南から出発した。途中朝日が明けた頃、名古屋付近を走っていた僕らに現地壱岐対馬が西高東低の冬型の気圧配置に急変し海上は大変な嵐だと、仲間からの連絡が入った。つい先週はまだ夏空が残っており暖かく穏やかなコンディションだった為ぎりぎり持ち越してくれるかと、少し甘い考えだった。だが、今回のエクスペディションをこの時期に選んだ理由は、自然の脅威が立ちはだかる大海原に挑戦することだ。熱くなる気持ちを抑えながら日本列島を横断し一気に九州へ向かった。
約12時間のドライブを終えた我々は福岡に到着した。ちょうど仕事の出張で帰郷していたOCCJクラブ員伊藤正量(彼も福岡出身)が我々を迎えてくれ、郷土料理のモツ鍋をたらふく食べる僕ら。そうこうしている間に天候が急に悪くなっていく。予定していた対馬行フェリーが欠航になり、ギリギリで運行した大川海運に乗り込んだのは夜11時をすぎた頃だった。いきなりの困難に果たして無事に対馬に到着できるのだろうか。韓国までの旅路はまだまだ遠い。
出発・モツ鍋
10月20日(日)
AM3:00 壱岐対馬到着


夜の1時。激しく揺れる船内でぶつかり合いながら横になる我々6人。あまりの揺れに僕は小林と鈴木をおこして船外に出てみた。(勿論一般客は進入禁止の場所である)そこで今までに見たこともない大波を見た僕は腰を抜かした。後から聞くと波高4.0Mを超し、暴風警報が発令された時間帯だった。つい先週にモロカイホェを終えた僕が感じた、あのモロカイ海峡をはるかに上回るまさに"パーフェクトストーム"級の嵐。すぐに船室へ戻るメンバー達。だが、あらためて海の恐ろしさを痛感した僕の体は、なぜかその場から離れる事を拒んでいた。激しく体にぶつかる暴風の中、今にも海上に押し投げ出されそうになる体を必死に抑えながら、ついに肉眼で捉えることができた外洋の脅威を前に僕の脳裏に浮かんだこと。
「ホクレアが大破したあの時、こんな嵐の中をエディは一人で出て行ったはず。そしてこの場所が大陸から渡ってきた我々の祖先達が数え切れない程死んでいった場所でもある。ついに僕はこの場所にきたのだ。」
これまで外洋で鍛え続けた経験が、30分間だけ僕を冷静にさせてくれたのかもしれない。
「ドスーン」
という激しい音が何回か船内に響いた。その後どれだけ経ったのだろう。
「あまりにも激しい嵐の為フェリーはこれ以上運行できません。経由地点であるここ厳原港(対馬の南側にある港)で欠航となりましたのでここで降りてください。」
いきなり船員に起こされ、寝ぼけ眼でしかたなく車に戻った僕達。そこでまたまた驚かされた。あまりの揺れに船底部に固定してある輸送中のトラックの荷台が大破し、中の積荷が散乱しているではないか。幸運にも僕らのボードには支障はなく到着地点である比田勝港に向かって運転を開始。腹の中の"モツ鍋"と調味料の"ニンニク"のお陰でかなり気分が悪い。
まだ暗闇の中、僕の時計の針は3時を指していた。
対馬到着
AM5:40 国民宿舎上対馬荘に到着

朝日が昇り始め、宿舎から対馬の海が一望できる。海上には無数の白波が見え、手前の岩場には6フィート級の崩れ波が激しくぶつかっている。決行予定日は明後日の22日。昨年7月とは雲泥の差である。
「この状態では韓国どころか対馬の海域さえも進めない。国際交流のきっかけにさえもならない。」
次第に僕の顔色は険しくなっていった。福岡からのフライトが大幅に遅れた後発組みを出迎えに、再び2時間かけて南対馬まで向かう僕と石川。昨年に続く2回目のエクスペディションとなる彼の顔色も、僕と同様に険しかった。

PM12:00 対馬空港フライト組みを出迎える

空港では今回ゲスト参加となるプロサーファーの池田潤さん。そしてプロウインドサーファーの中里尚雄さん他3名が待っていた。既に疲労困憊で青白い顔色をしている僕らとは対照的に、とても元気でエネルギーに満ち溢れた仲間と合流できて僕は嬉しかった。なぜなら彼らはまだ今回の荒れた海を素肌で感じるチャンスに恵まれておらず、それゆえに、現代社会の常識となった移動手段である航空機が昔から伝わる船舶移動と比べいかに便利なものか比較してくれたからである。科学技術の発展による生活手段の利便性の陰で忘れかけている昔の人の苦労を思い出すこともまた、このエクスペディションの意義の一つでもあるのだから。
中里・池田・永井・立花
PM14:00 メンバー全員集合

やっとメンバー全員が集合した。チームとしての結束力は既に高まっている。今回プロジェクトに挑むに当たって僕は参加者に対し"チームワーク"という一つの公言をした。そして4月からのカナカイカイカジャパンシリーズ(OCCJが年間を通じて運営するパドルレース)を介し選出されたメンバーはその後3ヶ月間、チームワークを培う為に各自仕事や学校のスケジュールを調整し、毎週水・金の朝5時半から鵠沼海岸で合同練習会を行った。海に挑戦する共通の目標を設定し、それに向かって共に努力した仲間達だけが味わえる特別な充実感と、達成感は計り知れない。それは僕個人の力ではなく組織力でエクスペディションに挑む最大の理由でもある。
仕事でも遊びでもなんでもそうだが、私達は決して一人ではなく必ず組織の一部として他と互いに支えあいながら生きている。僕らOCCJのような一クラブ。学校や会社。そして日本という国。もし地球を一つの大きな生命体と考えたら、全世界の平和こそが"組織"の理想的なあり方なのだろうと思う。
勿論同じ組織に所属する人それぞれが胸の中に秘める、個人的な目標や願いは千差万別である。最近テレビから流れてくる様々な話題のほとんどは、その個々の意見の過度な主張が対立し、そして最終的には反発してしまった結果に起こったものだ。違う価値観を持った人間の主張を受け入れ、もっと広い視野で共に達成できる目標を定め、その上で自分の楽しみ方や生き方を見つける事の方がどれだけスマートだろうと僕は思う。
サーファーの池田潤さんは
「うわぁ、あそこいい波だよ。サーフボードも持ってくればよかった。」
と嬉しそうに叫び続けている。
チームワークとは結果的に個々の生き方を幸せにするもの。僕は東京や湘南、そしてはるかハワイから、ここ九州の孤島、対馬に集結したメンバーを前にそう思った。
全員集合
PM16:00 地元の協力者、立花さん・梶原さんと合流

落ち着いたメンバー達が談話する宿を一旦離れ、僕が一人で向かった先は、漁師出身の上対馬町会議員・立花勝明さん(59)の自宅。彼は昨年この地を初めて訪れた時から僕が常々お世話になっている方で、今回、水先案内人として僕らの航海責任者になっていただいている。彼はまた上対馬町国際交流協会の運営者でもあり、毎年日韓の学生達をホームステイ交流させ、両国間の友好的な交流を続けているたいへんな有力者だ。以前にもウインドサーフィンやシーカヤックでこの海峡を渡る挑戦を数多くサポートしてきた彼の自宅にはたくさんの記念写真が飾ってあった。また、漁業船晴洋丸の船長として伴走サポートをしていただく梶原洋邦さん(45)も同席。立花さんの近所仲間で、日々漁にでる彼は対馬近海の海を熟知している日本が誇る海人(ウミンチュウ)だ。
実は今回のプロジェクト準備期間の今年6月20日。パドルボードのモロカイレースを間近に控えた時期だ。彼らの協力がなしで今回のエクスペディションの成功はありえないことを知る僕は、まず始めに今年の企画に懸ける僕の気持ちを理解してもらう為にこの地を訪れた。全てが未知の世界だった昨年からさらに上を目指しより厳しい自然にあえて挑戦する為、冬型の気圧配置の荒れた海をあえて選んだこと。そしてパドルボードという最も推進力のない手法を使い、よりエクストリームなチャレンジをするということ。そしてこのプロジェクトが単なる"冒険"イベントではなく、日韓両国の国際的交流を目的にしている事を伝えた。だがこれまで彼らが携わったプロジェクはまず参加者の"生命の安全"を優先し、全て気象状態の安定する夏時期に行なわれており、立花さんは一見無謀ともいえるこの内容を聞き、責任者として再び我々に手を貸すことを硬く拒んだ。しかし僕はこれまで培ったモロカイレースの実績を詳しく説明した。外洋60キロのモロカイパドルボードレース。追い風に常時押されながら一人で渡るのに僕は7時間かかる。60キロの朝鮮海峡が最悪向かい風になったとしても、僕と同等の実力を持つ人間が9人リレーで繋ぐことで前進することができるはずだ。平均して1.2ノットの海流をデータで予測し、その日の風力で予測できる人力の平均速度を考慮すれば横断は可能だ。僕のセオリーでやっと彼は理解をしてくれた。
しかし、今回のコンディションは別格だった。海上は15Mを越す暴風警報が発令されている。気象庁発表する沿岸波浪モデル予想は明日の朝4.5Mを越す。その頃対馬周辺のフェリーは全便欠行。漁に出る漁師は一人もいない状態で、僕ら3人はすぐに決行日延期に合意した。昨日フェリーから見た悪夢のような海のイメージは鮮明に残っていた僕はその決定に暗黙の了解だった。
REPORT1 | REPORT2REPORT3
レポート:荒木汰久治 写真:木下健二