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    ウォーターマンへの道(著:荒木汰久治)

僕は混雑を避け、静かな空気感を大切にしています。
だからマンツーマン(少人数・完全予約制)で直接心の会話を大切に海を案内します。
限られた貴重な時間で、一緒に地球を感じてみませんか!?

"Feel the earth." 荒木汰久治

 '04年建造 - '05愛知万博航海 - '09飫肥杉伐採 記録

①沖縄・海人との出会い

沖縄に初めて来たのは2002年。当時はハワイと神奈川を往復する生活でアウトリガーカヌーのレースやサーフィンのコンテストにプロとして出場し生計を立てていました。初めての沖縄で海人(ウミンチュ)という言葉が存在することを知り全身に鳥肌が立ちました。

そして*サバニレースに出場し船の性能と歴史にまた驚きました。それが今日、僕が沖縄に定住するきっかけです。

2003年Hokule'a船長ナイノア・トンプソン、そして僕の恩師ジェイクさんと共にサバニレースに出場したのですが、「Taku、サバニを使って外洋航海してみたら面白そうじゃない?」という単純な一言で『海人丸(うみんちゅまる)プロジェクト』がスタートしました。 

 

沖糸満市の伝統サバニ大工・大城清さんにお世話になりながら、大海原を渡るためにサバニを安定させる連結部分の構造に試行錯誤。ハワイで習得した紐結びの技術を使って2隻のサバニを繋ぎ合わせ、”海”で”人”を”丸”にする。という願いを込め「海人丸」と命名しました。

2004年に全国の仲間を誘って糸満市から出身地の宮崎県まで「スターナビゲーション」の練習を兼ね航海トレーニングを開始。伝統航海術”スターナビゲーション”とは、コンパスやGPS(全地球測位システム)などを使わず、星・月・太陽の位置や風の力、潮の流れで航海をする伝統的な航海術です。ホクレア号が航海するレベルまではとても難しいですが、沖縄と九州の間で徐々に航海距離を伸ばしながら、飛行機で上空からの眺めを確かめたり、フェリーで何度も行き来して島影を暗記したり、星が昇る角度を覚えるなど航海トレーニングを繰り返しました。 

 

2005年、愛知万博のテーマ「人間と地球の共生」をスローガンに。沖縄から愛知まで約2,000km、56日間の航海を成功させました。スターナビゲーションでは現代機器を使いません。『人力』と『自然の力』を極限に使います。海の上で頼りになるのは「クルー=人間」と、「風や潮流などの天候=自然」のみ。一人一人が自我を出したら争いごとが起きてしまいます。水も食糧も分け合います。風が落ちれば漕ぐのみ。大変な苦労です。一瞬の気の緩みで夜の海に落ちたり、または昼間でも航路をはずれ漂流してしまえば命の保障はありません。

 

近代機器に頼らない航海では人はどんどん自然に近づいて、今の世の中に欠けている“共生”という言葉の本質が見えてきます。僕らは人と自然の繋がりの中で生かされていると気付くのです。それは背負い合う(依存)の関係ではなく、支えあう(共存)の関係です。海に出れば必ず嵐とぶつかります。個々が危険やリスクを理解した上でビジョンを共有しなくてはいけません。だからありのままの海を、目に見えない島まで、安全にわたるという強い意志を共有する。これが共に生きる=共生することです。

②オーシャンアスリートとしてホクレアにかけた夢

だから現代の社会や文明を否定するために海を渡るわけではありません。僕を始めクルー一人一人は現代社会で仕事と家庭と趣味のバランスをとりながら、過去と現在と未来を繋げようと挑戦しているのです。

 

僕は記憶に覚えている幼少時代から資本主義経済の強烈な流れを嫌という程感じながら育ちました。バブル絶頂期の日本でサラリーマンをしていた父は当たり前のように転勤を繰り返しました。僕は幼い頃から仲良い友達との辛い別れが続き、生まれ故郷はほとんど記憶にありませんし、荒れた思春期時代も経験しました。

 

93年、19歳の僕は大学へ入りライフガードのトレーニングで初めて海を渡りました。(その時は飛行機でしたが、)一面に広がるオーストラリアの美しい水平線の反対側に自分の育った島がある。自分の力で海を渡ったら自由に生きることができると悟ったのです。当時はホクレアの存在はまったく知らなかったけれど、ちょうどその頃の同じ時期にハワイではナイノアたちが自力で太平洋の島々を見つけ出していました。

その後、6年間オーストラリアでトレーニングを続け、大学卒業時に全日本選手権を優勝、その後、世界大会を経てハワイのモロカイレースでプロアスリートとして生計を立てられるようになりました。そしてオーストラリアやハワイで出会った人の縁でホクレアのことを知りました。それ以降、アスリートとしてのプロ活動とは一線を引き、水平線から日本を見つけたいという純粋な夢一筋で航海トレーニングに参加し、ボランティアで補修やサンディング作業に汗を流しました。

それから9年後の2007年、集大成としてホクレア号のクルーとなる機会が訪れました。

パラオ諸島のヤップ島から出航し12日目に水平線から沖縄を見つけた時の全身に突き抜けた衝撃は一生忘れません。沖縄を見つける数日前のある夜、ホクレアの上で星を見ていた自分は空にふと中国が見えナイノアに話しました。ぼんやりとでしたが次の夢が頭に浮かんだときでした。

 

「自分の力で島を見つける。」

 

これこそが転校を繰り返してきた僕が幼少の頃からずっと感じ続けていた生き方でした。 文明に頼りすぎて『つながり』が薄れていく今の世で、人力で海を渡ることで全てが一つにつながる感動がある。

(写真をクリックすると拡大します)

③原点回帰

海人丸で中国を目指す。それは昔の海人が島を渡った理由と同じ。お金では買えない強い想いです。ホクレアがハワイに帰った後、名桜大学の非常勤講師としてクルー育成を始めました。そして実際に中国までの航海計画を進めると、愛知万博のときより多くの人・食料・水を積む必要があり、カヌーは必然的に大型化しなくてはいけないと判断。そして海人丸2号の新造を糸満の清さんに相談しました。そして材料となる飫肥杉が必要だがそれだけのサイズはなかなか見当たらないという現状があります。プロとはいえ恵まれないスポーツで生計を立てている自分はそんな希少価値のある大木を買うお金の余裕など当然ありません。でも航海プロジェクトは全て人の善意で支えられているということ、強い想いが意志となり人の心に感動を与えると信じています。

 

僕は宮崎の井上さんに飫肥杉を探す協力をお願いしようとフェリーではなく人力で挨拶に行こうと考えました。そして仲間と共に2009年、2010年と宮崎まで2年間人力航海、名桜大の教え子たちも共に海を渡りクルーも新旧交代していきました。初年度は奄美大島と宝島の間で台風に捕まり恐怖に怯え引き返し、途中で航海を諦めました。

 

「お前の意志はそんなものか、もう一度出直してこい。」とハッキリ言われた僕らは翌年、20日間かけて井上さんのところまで必死でたどり着きました。 

全ての水と食料を持ってキャンプ生活する航海は伴走船があった愛知万博の時と比べると何十倍もの苦労がありましたが、その話を井上さんは嬉しそうに聞きながらお酒を飲んでいました。

 

「いいよ、なんでも持っていけ!」

 

という一言。大木を探す協力のお願いのはずでしたが、樹齢60年の飫肥杉を無償で提供してくれたのは本当に驚きました。 我々はその大木を地元の子供達と共に伐採し、代わりにどんぐりとクヌギを植樹。僕は木が地面に倒れる瞬間まで、伐採とは木の命を絶つことだと思っていました。ですが木が倒れる「ドスン」という地響きで周囲の樹木から一気に水滴が落ち、辺り一面に霧がかかりとても神聖な気持ちになりました。その地響きはちょうど赤ちゃんの産声のようにも思え、その時『命』は繋がるものだと学びました。海と森が繋がる。そして井上家と荒木家が繋がる。表面じゃなく芯で繋がった瞬間でした。

 

宮崎で製材された飫肥杉は近くの小学校の中庭で乾燥させ、いよいよ海人丸二号の建造に着工するところまで来ました。そして今年は夏場の航海を休憩し2年間かけて建造場の確保に努め、ようやく今年2001年4月に地元の区有地を借用契約しました。35歳のサバニ舟を使った前回の海人丸(一号)プロジェクトを振り返ると振り出しに戻る気分です。これが“0(ゼロ)”からの再出発なのだということでしょう。

   ↑ 宮崎日南の井上家から譲り受けた飫肥杉を伐採、沖縄へ運搬しました。

④未来への夢に向かって

僕が住むこの島=沖縄、そして日本は様々な問題を多く抱えています。

 

海人丸二号が建造できたとしても、中国と日本の間はそう簡単にわたれる海ではありません。政治の世界にも嵐があり、海も陸も、強烈な流れに漂流しては生きてはいけません。風と流れには逆らわず、追い風になるまで待つ。でも毎年クルーを育てチャンスが来たらすぐに出航できる準備を毎日かかさない。

 

朝日で海に入り、潮の音を聞きながら眠る生活は、これまでの人生をゆっくりと振り返らせてくれます。振り返れば振り返るほどモロカイレースやホクレア、海人丸と、今まで点だったものが線になって見えてきます。 昨年伐採した飫肥杉の年輪を見るたびに感じます。僕はたった15年しか漕いでいない。モロカイやホクレアの夢にかけたこれまでを振り返りつつも、次の夢に向かって前を向いて歩くために漕ぎ続けます。

 

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Keep Paddling.

オーシャンアスリート 荒木汰久治

p.s.2011年7月、iSUPアドベンチャートリップに挑みました!!

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