■第3章 世界最大のパドルレース、モロカイ、そしてウォーターマンへの道
●ライフガード世界選手権からウォーターマンとの出会い
「ウォーターマン」──僕にその言葉を教えてくれたのは、ジェイク水野さんだった。
ジェイクさんはハワイ在住の日系人で、ハワイのサーフィン界・アウトリガーカヌー界で多くの人の尊敬を集めている人物だ。アウトリガーカヌーとは「浮き」を付けて艇のバランスを取ったカヌーのことで、チームスポーツとしてハワイやアメリカ、環太平洋地域でここ十数年で大変盛んになっている。1996年5月。その年、ライフセービング世界選手権で6位になった僕は、「モロカイ・チャレンジ」に挑戦していた。それまで、体格的に劣る日本人には無理だと言われていたレースだが、無理だと言われると、僕はますますその気になった。そして大方の予想を裏切り、僕は初挑戦で見事完漕を果たした(タイム4時間37分37位)。
様々なハプニングを乗り越えゴールした僕は、心身ともに疲労困憊、腰が抜けたように座り込んでいた。突然日本人らしき人が声をかけてきてくれた。それがジェイクさんだった。
「お前、日本人か?」
「はい」
「何でこのレースに出た?」
「強くなりたいのです」
ジェイクさんは僕の答えを聞くと、ニヤリと笑ってその場を去って行った。
自分はまだその時ジェイクさんがどういう人なのかを全く知らなかった。とにかく日本人としてモロカイ海峡を渡った事に充実感を感じていた。
そしてそれまでのアスリート人生では見たことも、そして考えたこともなかった新しい世界観、そして価値観が自分の中に確実に生まていた。
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モロカイ海峡。巨大なカジキマグロ、そしてイルカやクジラとの遭遇。海は人の住む場所ではない事を知った。水平線の向こうには、島があることを知った。地球は丸いことを知った。未知の海の存在を知り、そしてその海を渡っていけば必ず島に着く。そして誰かに会えることを、すべてが繋がっていることを感じた。それまで行なっていたライフセービング競技も、培った能力を人命救助に使うという、すばらしい目的を持った競技だった。でも、モロカイ・チャレンジに出ることで、水平線の向こうに何があるのかを、僕は知ってしまったのだ。それは、僕が求めていた世界だった。海峡を渡る行為の裏には何があるのか。自分たちが今、どこにいるのか?そしてどこにむかうのか?オアフに着く為には潮流と風を読み、その変化を肌で感じコースを選択する。まさにモロカイレースは自分の能力を鍛え続けた。そして僕は知らず知らずの内に更に遠くの島を目指す外洋航海へと導かれていく。
有給休暇を取りモロカイ・チャレンジ(サーフスキー)に日本人として初参加。47位(4時間37分)。
翌年以降、37位、20位、15位、14位、そして2004年の12位と毎年着実に順位を上げていった。現在、自分は世界の上位まで上り詰めそして今年4月も24回目のモロカイに挑戦する。
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●4ヶ月で退社、歩み始めたウォーターマンの道
帰国した僕に、会社の上司は言った。
「もう満足して仕事しろよ」
「いえ、来年も出たいんですけど」
「それはダメだ」
ほどなく、僕は会社を辞めることを決意した。でもモロカイでサングラスが飛んだ瞬間の美しい海の色がまだ自分の脳裏に焼きついている。その世界に戻る為なら手段を選ばないつもりだった。当然、家族、親戚全員から反対された。祖父からも諭された。
「日本人というものは、一回働きだしたら、一生その会社にいるものだ」
それでも何も迷わずに辞めてしまった。モロカイの世界を知ってしまった以上、それを知る前の状態に戻ることは絶対にできなかったのだ。
僕はこの年の8月に会社を辞めた。入社後わずか4ヶ月。ウォーターマンへの道を歩き始めた。
同じライフセービングの仲間達から変わり者のように思われたかもしれない。「来年は一緒にモロカイに出ようよ!」と声をかける自分に「俺はそんなチャレンジは無理だよ。」と仲間達は首を横に振った。この時期からトレーニングは短距離から2,3時間の長距離中心のトレーニングへと変わっていった。モロカイを目指した自分は徐々に一人でトレーニングする時間が増えると同時に、それまでのトレーニング仲間達から距離が離れていくことは避けられなかった。それからの日々、僕は常に孤独感との戦いと向き合うことになった。