■第2章 プロ・オーシャンアスリートへの道
●世界選手権6位入賞
ライフセービングの日本選手権で3連覇を達成したことで、僕としては一つの満足感があった。
「ああ、もう自分はやるだけやったから、いよいよ就職かなあ」
ライフセービングのアスリートとしてでは、たとえ日本チャンピオンであっても食っていけないこともわかっていた。鯨井さんのようにタレントになることも当然考えたがその為にどうすればいいのか全く分からなかった。でも、いわゆる普通の体育会系の就職活動をするのは嫌だった。そこで大学三年の時から英文会計の専門学校に通い、会計学を学んでいた。その他にも就職活動が一体どういう雰囲気なのかある都内の会社の就職説明会に行ってみた。スーツを着た学生達が整然と並んで座っている前で、担当者が業界の位置付けを淡々と説明する。それをただ黙って聞く学生達の中で、一人だけジーンズ姿の自分はどうしてもその担当者が自分の会社の自慢話をしているようにしか聞こえなかった。
「自分の人生は他にやることがあるはずだ。」という気持ちが心の中で強くなっていき就職説明会は2社目で行く気をなくしてしまった。それよりか専門学校の勉強が楽しかった。全てが新鮮でとてもやりがいがあった。ある日となりに座っていた中年男性から声をかけられた。
「うちの会社で働いてみないか?」その人は外資系企業の経理部長だった。なんとなく誘われるままに面接を受けてみた。そこで僕がライフセービングの日本代表になったことで「大した気骨のある奴」という評価を受ける。そしてその日の夕方には広尾にあるウォルト・ディズニー・ジャパン(株)から内定をもらうことができた。
そして1998年の2月。大学卒業と就職を間近に控えた僕は、念願の日本代表に選ばれた。ここまでの自分の人生の中で自分を試す最高の舞台だった。鯨井さんも、そして飯沼も同じチームメイトとして一緒に世界に挑んだ。世界チャンピオンの鯨井さんはついに負けた。雑誌に“王者・鯨井が散る”と書かれた。自分はその横でこれまでの苦しかったトレーニングの思い出や、日本選手権での優勝の瞬間、全て鯨井さんを真横で見ていた。チャンピオンが負けるというよりも自分の目標にしてきた英雄が負けたと感じかなりショックだった。しかし自分も今、鯨井さんと同じ世界の舞台に立っていることを信じられなかった。そして自分のレースは始まった。結果は6位に入賞した。自分はこれまでの集大成が終わったと思った。4月からは就職しサラリーマン生活が待っている。これまでの競技生活をどう継続していくか?自分には全くアイディアはなかった。
その夜、表彰式の会場でパーティーがあった。レースを終えた沢山のライフセーバー達が巨大なナイトクラブに集まり酒に酔いながら踊っている。500人近いたくさんの人が入り交じり会場は凄いムードに盛り上がる。自分が戦った海外の選手を見つけ近寄ってみると皆「モロカイ・チャレンジ」の話に熱中。今、やっと世界選手権を終えたばかりで、もう次の、5月にあるレースの話をしているのだ。「モロカイレースって何? どんなレース?」
初耳だった僕は聞いてみた。それは激しく荒れることで知られるハワイのモロカイ海峡を人力で漕破するという、外洋の過酷な鉄人レースだと教えてくれた。
だが誰もが口々に言った。
「モロカイは小柄な日本人には無理だから、やめておいたほうがいいよ、タク」
思わず「なにっ?」と、負けず嫌いの僕の魂に火が付いた。留学時代オーストラリアでは常に差別感を感じていた。そして悔しい思いを人一倍してきた。背も小さいし肌も黄色いし技術もたいしたことない。悔しさと虚しさで何度涙を流しただろう。そのときのチームメイトは今ではモロカイでチャンピオンにもなっている。劣等感のかたまりが僕をここまで強くしてくれた。モロカイレース。そんな凄いレースがあって、おまけに日本人には無理だなんて言われたら、それはもうやるしかない。
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● 「じゃあ、これが最後だぞ。そのレースが終わったら仕事に専念しろよ」と答えてくれた。
僕は理解ある上司のおかげでモロカイに参戦できることになった。しかし、先立つもものはカネである。僕はライフセービング世界選手権で有り金をすべて使いはたしていたのだ。
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どうやったら航空チケットを捻出できるか。乏しい知恵を振り絞っても何もアイディアは浮かばない。思い切って雑誌社に飛び込んだ。マガジンハウスだった。ある雑誌の副編集長が自分を気に入ってくれた。そこで自分はモロカイの取材をしてもらう約束をしてくれた。そして次に自分はスポンサー周りを始めた。慣れない企画書を自分で作り手当たり次第の雑誌広告を見ては様々なスポーツブランドに直接電話をかけた。
入社初出勤で申し出た有給休暇
4月、会社に初出勤した新入社員の僕は、いきなり上司に申し出た。
「モロカイ・チャレンジに出たいので、5月に長期休暇を下さい」。
前代未聞の新入社員である。30歳をこえた今にして思えば、非常識極まりない申し出だったと思う。が、当時はそうは思わなかった。そして、上司もしぶしぶではあるが
「日本人がまだ出た事がない海峡横断のパドルレースに出たいんですが、航空運賃がないので協力してもらえませんでしょうか?」
こんな唐突な電話をいきなりしてくる若造にほとんどの担当者は驚き言葉をなくした。
「検討させていただきますので企画書を送って下さい。」返事は全てNoだった。
自分は諦めなかった。何度も何度も企画書を作り直してそしてまたトライした。ある会社のマーケティング担当者が「面白そうだから一度会社に来て話を聞かせてもらえませんか?」と言ってくれた。自分は早速会社の昼休みを使って地下鉄に乗り飛んでいった。何度かミーティングを繰り返したが会社の販売促進として僕をスポンサーするにはあまりにもマイナーすぎると言われた。又落ち込む自分にその担当者は10万円が入った封筒を自分に手渡してくれた。
「自分の気持ちです。」
お年玉以外にお小遣いをもらうのは生まれて初めてだった。人間の心の温かさを感じると同時に、この人の為に何が何でもモロカイを完走するぞ。と沸々と気持ちが盛り上がってきた。
日本人には無理という周囲の冷たい目を跳ねのけて、僕はモロカイ島~オアフ島間の32マイル(50キロメートル)を47位で完漕した。
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●モロカイ海峡に弾きこまれた自分
ライフセービング競技をしている頃から、じつは僕は海の向こうばかりを見ていた。浜辺でライフガードをしている時も、迷子の世話をしたり、ビーチのゴミを拾ったりしながら、視線はいつも水平線のほうを向いてしまう。
「海の向こうには、何があるのだろう」
僕が日本チャンピオンになり、世界で6位になったライフセービングのサーフスキーレース。これは浜辺からわずか300メートルの距離を3,4分で帰ってくるスプリント競技だ。もちろんこれも海の競技であることは確かだが、広大な海のごく一部の浅瀬を使っているにすぎない。ライフセービングはビーチの近くで溺れた人を助けることを目的とするのだから、それはそれで素晴らしいことは疑いない。
だが、モロカイ・チャレンジはまったく別の世界だった。モロカイ・オアフ間の三二マイル(約52キロ)を、体力のすべてを振り絞って四時間以上も漕ぐ。貿易風にあおられた高さ四~五メートルものうねりが、いたるところでぶつかり合い、10Mを軽く越す強風で巨大な白波が辺り一面に広がる。モロカイ島へ渡る飛行機の窓から下を見ると、そこは浅瀬しか知らなかった僕や普通の日本人が想像できるレベルをはるかに上回る迫力の外洋が広がっていた。そして自分の存在など豆粒どころか、それ以下のほとんど無に近いものだということを感じた。人間の小ささを肌で感じると全てに対して謙虚になっていく。自分はあまりの緊張に謙虚を通り過ぎてほとんどしゃべれない状態になってしまった。
どこを向いても水平線のみ、方角すらわからない。レース前日、自分は目の前にいた一人のアスリート(名前は覚えていない)に尋ねた。
「オアフ島はどっちですか?」
「あっちの方角の水平線の先に小さな岩のようなものがみえるだろう。あそこだよ。」
自分の目を疑った。水平線の先に浮かぶのは岩ではなくオアフ島だった。自分が逃げ出せない場所へとたっていることの重大性に気付いた。これまでのライフセービングの経験がどこまで通用するだろうか。。
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モロカイ海峡を横断すると言う事。これは単なるスポーツとは違う。レース前には必ず選手全員が手を繋いで祈る。誰が一番か?何時間何分でゴールできるか?ということよりも大事な事がある。それは選手及び関係者全員が生きて島に辿り着く事。誰一人として海に消えることは許されない。我々一人一人の小さい命が1つにつながる瞬間に祈りは天に届く。まさに戦に行く武士が禅を組むようなもの。家族の存在に感謝し、風と太陽、潮の流れに敬意を払う。そして万物全てに命が繋がっている事を祈る。
僕はいつもモロカイレースの前日はほとんど野性の状態になる。それまでは炭水化物中心の食事、そして筋力トレーニング後のたんぱく質の補給は欠かさない。しかしモロカイの前は何故か血の滴るような生の肉を食べる。それはまさに戦いを目の前に控えた野生の人間がほしがる食べ物なのだろうか。レースの日の朝、鏡の前に立ち自分を見つめる。これから海に漕ぎ出す男は自分以外のもう一人の人間のように見える。自分の祖先が背後に立っているのかもしれない。
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一斉にスタートを切った我々。これから何時間もの長丁場になるというのにアスリート達は全力で漕ぎ出していった。目に見えない島を目指し、野生の人間達の壮絶なドラマが繰り広げられる。
3時間を過ぎる頃、腹筋の力は抜け全身の感覚がなくなっていく。疲労感も通り過ぎ一帯自分が誰なのか分からなくなっていた。突如水面から巨大な物体が飛び出してきた。
「サメだ。」
と仰天しサーフスキーが転覆。その衝撃でサングラスと帽子が飛ばされた。サメではなくカジキマグロだった。サングラスがはずれた瞬間、水面の低い目線からモロカイの黒ずんだ深い青さが目に飛び込んできた。再び漕ぎ出した自分はその海の青さに感動した。これほどにまで鮮やかにそして美しい色彩を見たことはなかった。この美しい場所に全てを懸けたいと感じた。(第3章は下記写真をクリック)